先日ある大学で行われた、健康保険改革の法案決議を約束するオバマ大統領のスピーチは、わたしを安心させてはくれなかった。会場で懐かしい”Yes We Can!”というレトリックを叫ぶ観衆も、心の奥では、どこか不安を抱えていたのではないだろうか。
オバマ大統領は大統領選のキャンペーン中に、自分が大統領になったら、24時間CMなしで議会の様子を中継する政治チャンネルC-Spanで、健康保険に関する法案会議を、隠さず放映するオープンな政府を目指すと約束した。
明日3/21に行われるらしい”歴史的な”健康保険改革案の議員投票を前に、民主党と共和党の議員が、自分の法案を掲げて説明したり、人の案を批判したり、亡くなったテッド・ケネディ議員の名を上げて、いまだに改善されないこの問題を指摘したり、時にヒステリックに、特に攻撃的に、時に冷静に、時に批判的に、時に建設的に、問題の説明や解析をいろんな視点から議論を重ねて、理想の一案を絞り出そうとする様子が、C-Spanで延々と放映されている。
(それにしても、なかなか実現しない”歴史的な”瞬間は、いつやってくるのだろう?)
でも、その議会の誰ひとり、誰の法案アイディアも、わたしを安心させてくれはしない。
それはわたが彼らの英語や問題の複雑さを100%理解していないから、だけではないと思う。難しいところは実際、何度聞いてもトリッキーすぎて、マジでまったく理解できてないのだけど。
彼らの多くだって、最初は(中には今でも)市民の暮らしを改善したくて、政治家を目指したのだと思うのだ。
わたしは幸いにも、まぁまぁのレヴェルの健康保険を付与してくれる会社に勤めている。先日、神経治療を終えたばかりでヘロヘロのわたしに、「あなたせっかくいい保険あるんだから、今度は高いクラウン(歯冠)やっちゃいなさいよ!」とすすめる歯医者。
その”いい保険”に入らせてくれる会社に感謝はすれど、
やっぱりわたしは、すっかり安心しきれないでいる。
オバマ大統領は大統領選のキャンペーン中に、癌に犯された母が、病院のベッドの上で、それは「”保険加入前からあった病気”だから、保険の対象ではないと主張する保険会社と口論していた」ことを例にあげ、健康保険改革の重要さを訴えた。
ある州では、家庭内暴力も”保険加入前からあった病気(状況)”とみなされているという。建国の歴史上、州ごとに異なる州法があるのは構わない。
でも、命の危険にさらされている市民さえ救えない保険制度を、医療がビジネスと化している状態を、私腹を肥やすことが最優先の保険会社の数々を、その保険会社を暴走させる資本主義おばけが、そのおばけに財政緊急援助金を施す政府が、ストリートにあふれる老人ホームレスを生み出すアメリカおばけが、わたしを不安にさせているのだ。
そしてはわたしはもう何年も前に、この国の移民として生きていく決意をしている。
シュワちゃん。
on & on...